REGARDS DE MODE

2018.07.16

「エレガンス」という漠然とした言葉が、自分の中に象られたのは本書を閉じた瞬間だった。なんとくなく良いなと思い、買うのを衝動(しょうどう)買いというが、私は衝撃(しょうげき)買いともいえるほどの決定的なインパクトを受けてレジに向かった。

ココ・シャネルやクリスチャン・ディオールが活躍していた1950年代のパリ。写真家GEORGES DAMBIER(ジョージズ・ダビエ)によって撮られた写真集は、全ての写真が完璧に撮られている。フィルム時代の完成された構図や決まったポージングは、1枚の写真のために時には数十回のシャッタを切る現代のファッション撮影とは異なり、チームによって緻密に作り込まれている。

写真集の舞台である50年代のヨーロッパは、世界大戦が終わって暗い時代を抜けたあとのほとばしるような輝きがあったのでなかったか。多くの人々は希望に溢れ、開放的な文化が好まれた。写真からは明るい時代のパリがうかがえる。

そんな時代のモデルは、もしかしたら私よりも若い人々かもしれない。洗練された彼女たちは昔みて思い描いた大人の肖像そのものだ。この優雅さはどこにいってしまったのか?

時代が変わった。そのために50年代にあった精神は死んでしまったのだろうか。優雅さをもった紳士淑女といった人々は、今の時代にいたとしても天然記念物級の希少さだと思う。だからこそ「エレガンス」という貴重なものに少なからず触れることができた瞬間、感動し、衝撃によって無意識的にこの本を所有したのだ。

50年代のパリを通して「エレガンス」という自意識が生まれた時に明確に理解したことがある。それはエレガンスとは”完璧”でないといけないということだ。綻びがあれば、優雅さは、格好だけの野暮ったいものになる。ではこの写真集の中の完璧さとはなにか?

それは1つの輝きを追い求めて、勿体ぶらずに追求している精神の痕跡。写真家の構図、モデルのポージング、洋服のラインの美しさ。それら全ての作り手達が追い求めている「完璧」なものが「エレガンス」を生み出しているのだと思う。

人は意図せず、人生の中で何度も物事を「意識」することを学ぶ。それはある種の「感性」の伝達。それらは自らの精神に感染して、世界に散らばるあらゆるものの評価を広げる。

私の価値観の中に「エレガンス」という意識が生まれた瞬間、たしかに、1950年代のパリからそのエッセンスを学んだのだと感じたのだった。